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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

12月22日(月)

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

                   ローマ8章33節 

私は本当の救われているんだろうか、赦されても罪を繰り返す自分はこれでいいのでしょうか、救われた人のすべてが感じ心を痛めることです。でもどんなに私たちの良心が責めても、イエス様がいてくださいます。自信たっぷりな人でなく、揺れ動きながらふらふら歩んでいる者の味方、それが救い主、私たちの主キリストだと信じます。今日も主が私たちのためにとりなしの祈りをしてくれています「父よ、彼らをお赦しください」と。罪を犯さない人生などこれからもありません、でも忘れないでください。イエス様はそんな者たちを愛してこの世に来られ十字架で死んでよみがえり、今も私たちのためにいてくださることを。

12月23日(火)

 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

                   ピリピ3章13節 

何も難しいことをしようと言うのではありません。自分の命を燃やして生きている、それが人生だから。嬉しいことも苦しいことも、全部生きているから起きることです。だから、自分でえり好みしないで、一切は主の御手から届くものとして受け取りましょう。そうすればきっと、思ったよりも軽くそして安らぎがあります。あなたらしくあなたの人生、走り抜きませんか。

12月24日(水)

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

                   ピリピ3章20節 

いろんな望みや願いがありました。その時その時に祈り求めて来ました。聞かれたことそうでなかったと思えることもありました。でもきっと最後に私たちは願うことは、キリストのもとへ、天の故郷に帰ることなのかも知れません。それはイエス様も願っておいでです、私たちをみもとに迎えたいと。

12月25日(木)

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。…何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心を思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

                    ピリピ4章4節 

そうすれば、と書かれています。思い煩っている時、平安を得るために祈る、確かにそういう順序も大切なのかも知れません。でも祈りを何かを得るための道具にしてしまってもいいのでしょうか。どうか私たちが、今あるものに感謝を感じて生きられますように。無いものをねだって自分の願いだけを満足させるような生き方からも解放されたいと思います。

12月26日(金

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも貧しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くして下さる方によって、どんなこともできるのです。

                   ピリピ4章11節 

スーパーマンになるのではありません。どんなことでもできる、それはどんな境遇であっても神さまを信じて生きていけるということだと思います。この地上で生きていく、それは苦しみの中で生きることと言ってもいいでしょう。だからこそ私たちのためにイエス様は来てくださったのです。感謝、平安はきっとそのような患難のなかで耐えながらも、主に信頼する者にくださる恵みなのです。

12月27日(土)

神が私たちの味方であるなら、だれが私に敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

                   ローマ8章31節 

私のような罪深く、不信仰な者にさえ神さまはあわれみ深くしてくださいます。救われたと言ってもいまだに罪を繰り返しているのに…開き直っているのでありません、でも主の恵みを思うと、いつまでも罪の呵責に囚われないでいいとさえ思ってしまいます。イエス様、あなたが私の神であり救い主でいてくれてありがとうございます、私はそのことが嬉しいです。

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