クリスチャンバプテスト教会
Christian Baptist Church
クリスチャンバプテスト教会
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
新約聖書マタイの福音書 4章4節
11月17日(月)
与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
1コリント3章10節
神さまから預かったいのちの使い方、時々振り返ってみなければと思います。きっとこれからの人生に大切なヒントがあると信じます。
11月18日(火)
そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。…労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
2テモテ2章1節、6節
イエス様に出会い、信じた私たち。その後もやっぱりイエス様しかありません。どうか少しでも長い時を、イエス様を思って生きられますように。良い時は感謝しへりくだり、苦しみの時は主を思い耐えられますように。そしていつか主をこの目で見られますように。
11月19日(水)
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩篇1篇1節
どこに根ざしているか、それが大切なようです。地表は渇いていても、地中深く根をはっていれば潤うことができます。困難があっても、私たちのたましいの根がイエス様につながっていれば生きられます。成功者になれなくても、その時々にふさわしく生かされていれば幸いです。日々、祈りみことばを読みながら主につながっていましょう。
11月13日(木)
すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」主は仰せられた。「あなたは、自分では骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
ヨナ書4章9節
怒って当然とおもうことがありますが、本当にそうでしょうか。たとえ自分に何の落ち度が見当たらなくても、怒るのは間違っています。ヨナは神さまが備えてくれた植物のつくる日影がお気に入りでした。でもそれが枯れてしまうと怒ったのでした。私たちは本当に自己中心です、でもそんな私を主はあわれんで救うためにこの地にまで来てくださったなんて驚きです。
11月14日(金)
祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だからこう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。国と力と栄えは、とこしえにあなたがただからです。アーメン。」
マタイ6章7節
どうか、祈るときが平安でいられますように。すべてを受け入れられましょうに。感謝をささげられますように。
11月15日(土)
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ5章3節
生きることは耐えることかも知れません。そのことに何の意味があるのかと思ってしまいます。けれどもし、耐えることを避けてばかりいたら、私たちは品のない者になってしまいそうです。他に生きようがないのなら、思い切って一切を引き受けませんか。良いことも悪いことも、そうすればきっと希望がうまれます。
