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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

11月18日(月)

イエスは彼に答えて言われた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

                   ヨハネ14章23節 

なにも全部を守りなさいと言っておられない気がします。今、自分に必要な主のことばを信じて生きていくことだと思います。でもそれが何かは願い求めなければなりません。神さま、私に今必要なあなたのことばを教えてくださいと祈りませんか。きっとお答えがあります、そしてそのことばを守れますように。

11月19日(火)

ふたりはひとりよりもまさってる。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

                    伝道者4章9節 

多くの中にいても孤独を感じる、それがこの世です。だからイエス様は「わたしはあなたを捨てず、あなたから離れない。あなたを孤児にはしない」と言って下さいました。今も、主はともにいます、私たちのうちに。

11月20日(水)

大ぜいの群衆が「彼を除け」と叫びながら、ついて来たからである。兵営の中に連れ込まれたとき、パウロが千人隊長に、「一言お話ししてもよろしいでしょうか」と尋ねると、

                   使徒21章36節 

今、パウロはいのちの危機に直面していました。でも彼は群衆にむかって命乞いをするのではなく、自分がイエス様に出会ってからの生きざまを話し始めます。難しい宗教の話でなく、信じ従ってきた自分への神さまの恵みを静かに伝えました。私たちならどんな話をするでしょうか。

11月21日(木)

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

                   へブル9章27節 

私の罪のさばきはどれほど重いものでしょう。イエス様が十字架でお詫びして身代わりにならなければならないほどの私の罪…でももう私は二度とこの身にそのさばきを負うことはありません。イエス様は一度さばかれたから。そして次に来られるのは、私のような罪人を迎えるためです。だからそのことを私も待ち望もう。

11月22日(金

私はあらゆる悪の道から私の足を引き止めました。あなたのことばを守るためです。…私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

                   詩篇119篇101節 

もし行くべき道がわからなければ、自分が迷っていることさえ気づけません。神さまのことばは、先の見えない人生を照らすともしびです。過ちの道から戻ることも、そして失望の中でも正しい道に歩む勇気をくださいます。私は自分の足もとを主のみことばで照らしているだろうか。

11月23日(土)

まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

                 エレミヤ書29章10節 

エルサレムに残された預言者エレミヤから、バビロンに連れて来られた民に届いた神さまからのメッセージ。心が折れそうになったとき、きっとこのことばが皆を支えたに違いない。その中にはあのダニエルもいました。私も「あなたに将来と希望を与える」との言葉に心が慰められました。

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