クリスチャンバプテスト教会
Christian Baptist Church
クリスチャンバプテスト教会
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
新約聖書マタイの福音書 4章4節
3月3日(月)
「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
ルカ10章36節
「何をしたら救われますか」とイエス様に聞いたこの人。彼にとって聖書は自分の正しさを示すためのものでした。そんな彼にイエス様はたとえをお話しになり、自分にはあわれみの心がなかったことを気づかせようとされました。救いの門は、正しさでは開けることはかないません。ただ自分にはできないから、神さま、こんな私をあわれんでくださいと求める人に開放されています。
3月4日(火)
そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
使徒3章14節
ペテロはキリストの復活をメッセージしました。そしてそのよみがえりはキリストを信じる者にも及ぶと言っています。そのいのちは私たちにも備わっています。復活のいのちは、強くなるとか死なないというものでなく、平安をもたらすものです。いのちが自分のものではなく、神からの預かりものと受け入れられることです。いのちは神の御手のなかにあります、そのことにやすらぐことができますように。
3月5日(水)
あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ40章28節
自分だけの力や策に生きている時には見えなかったもの。すべてが止まり術がなくなって初めて動き出すもの、それが神さまだけに頼る命かも知れません。今の時の試練が私たちに目を開かせてくれますように。
3月6日(木)
私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。
詩篇32篇3節
言い訳しよう、隠そうとすればするほど悩み苦しみは重くなります。開き直るのではありません、まず神さまに包み隠さずありのままを正直に打ち明けましょう。心の重荷はきっと軽くされます。もしそこに信仰の友が寄り添ってくれていたらどんなに幸いでしょう。
3月7日(金)
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
マタイ6章26節
人生に暗い影を落とすも、それは一つ一つの出来事ではありません。私たちの気持ちが心配と不安に囚われてしまうからではないでしょうか。良いときも悪い日も、どちらも神さまが、そう生きるようにと私にくださったもの。私には選ぶ自由はありませんが、落胆する責任もありません。のんきだと言われるかもしれません、でもそれが生きることをゆるされているとうことだと信じます。
3月1日(土)
あなたがたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。…聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
2テモテ3章14節
私たちはイエス様の十字架の福音に出会い、信じて救わました。それは新しいいのちに生きるスタートです。幼子が手を引かれ成長していくように、私たちは聖書のことばと御霊によってイエス様を知り、大人になっていきます。恵みと言うあわれみの中で。
