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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

9月9日(月)

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」

                   マタイ16章15節 

ペテロはイエス様といっしょに生きて来て「この方は神の御子救い主」だと経験してきました。私たちもペテロのように告白できるような恵みにあるでしょうか。信仰の告白が、どうか知識だけからでなく日々の暮らしからも納得したものでありますように。

9月3日(火)

私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。

                    詩篇39篇12節 

とにかく苦しみの中にいました。どこにも逃れることができません。そんな時でも、ひとつだけできることがありました。神さまに自分の本当の気持ちを告白することです。疑いや不満のことばさえ祈りとして主は聞いてくださます。

9月4日(水)

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

                   ピリピ3章13節 

どこか否定的な気持ちが自分をおおっている気がする時があります。当然、出来なくなってくることやあきらめなくてはならないものもあるかも知れません。でも神さまは「前に向かって」と励ましてくださいます。今日、出来ることを精一杯しよう、それでいい、いいえそれが明日につながっていきます。

9月5日(木)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

                  1コリント13章4節 

自分が愛に生きているとは思えません。けれど、もう少しみなひとりひとりが生き方の姿勢を省みる時なのかも知れません。あまりにも私たちは自己中心になりすぎました、愛を取り戻せたらと思います。

9月6日(金

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

                   エペソ4章30節 

私のことで、神さまがお心を悲しませているなんて、思いもよらないことです。どうか神さまが私たちにしてくださったように、私たちもしていけますように。心優しい人になっていけますように。

9月7日(土)

ヨシュアは言った。「いける神があなたがたのうちにおられ…全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせき止められ。せきをなして立つようになる。」…主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

               ヨシュア3章10節、17節 ヨルダン川を渡るのには信仰が必要でした。主がともにれば行けると信じるのです。水はせき止められました。さあ私たちも主がともにいると信じて行きましょう。

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