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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

9月15日(月)

十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

                   マタイ28章16節 

よみがえったイエス様に再会したのに、弟子の中には疑う者もいました。疑いつつ礼拝する、矛盾しているように思いますか。でもこれが、私たちの通常だと思います。信じ切れず、不信仰がなくなるものではありません。でもそんな彼らに主は、「いつもともにいます」と約束くださいました。だから、今日も主は疑いながらも信じている私たちとともにいてくださいます。

9月16日(火)

 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。…悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

                ローマ12章15節、21節 

この世界の優劣は、人のつくった物差しで測られたものにすぎません。主なる神さまの前では、私たちはみな造られ生かされているという点で同じです。いろんな違いに抗うよりも、どうかそう生かされているという大きな同じに立ちましょう。お互いさまなのですから、そんなに思いつめないでいいのです。

9月17日(水)

イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。主の霊が彼の上にあった。彼はイスラエルをさばき、戦いに出て行った。…こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。

                    士師記3章9節 

神さまは人を用いてくださいます。その者にご自身の霊を置いてくださったので、人々に平安をもたらす働きをすることができたのです。その御霊は今、イエス様を信じる私たちに注がれました。いいえ、私たちの内に生きておられます。どうか、そのお方が内から私たちを平安にしてくださいますように。感謝の気持ちを持てますように。希望が掲げられますように。

9月18日(木)

ヨブは主に答えて言った。「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分で知りえない不思議を。」さあ聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ。「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。」

                    ヨブ42章1節 

自分を悔いること、それが神に会うということです。卑屈になってしまうことではありません。神さまは私たちが、人のうわさでなく、自分の目で神を見ることを願っています。だから、私たちもそう願いましょう。私だけの神をこの身に覚えることができますように。

9月12日(金

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

                    ピリピ4章6節 

祈りは願い事を達成するための道具ではありません。たとえそうならなくても良かったと思えるようにしてくれる、それが祈りではないでしょうか。どうかこの怒りと混迷の世の中で、私たちの心と思いが守られますように。イエス様の平安がありますように。

9月13日(土)

そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」

                   ヨハネ6章34節 

人々は文字通りの食べるパンがもらえると思っています。でもイエス様が言ってるパンは、ご自分のことでした。イエス様を信じる者は飢えことなく、渇くこともない。それは体の必要ではなく、私たちのたましいの飢え渇きを満たすものです。主よ、私のうえ渇きを、あなたのみことばで潤してください。

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