クリスチャンバプテスト教会
Christian Baptist Church
クリスチャンバプテスト教会
イエスは答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
新約聖書マタイの福音書 4章4節
12月8日(月)
私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。
ダニエル9章17節
祈ることの幸いを感じます。祈る資格のない私、そんな者が主に祈れるのは本当にあわれみですから。そして主よ、あなたは私の声を聞きたいと願っていてくださいます。祈ることさえも赦してくださってありがとうございます。
12月9日(火)
ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。…それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」
ヨハネ13章8節
誰でも触れてほしくない、見られたくないものを抱えています。もし無理やりそれにさわろうとすれば、痛みを感じてしまいます。「足を洗い合う」それは、相手に自分のそんな弱いところを見せてもいいという関係になることです。それは謙遜とか仕えるとか言う格好のいいものではありません。私たちのかかわりが今、問われています。「互いの足を洗い合える関係ですか」とイエス様は私にお尋ねになっています。
12月3日(水)
主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。…苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119篇65節
学べる心を持つ人は幸いです。それはきっと、神さまは私を愛してくださっているということを経験で学んだからです。すべてのことに備えれている主の恵み、苦しみや困難からも、怒りや涙からも大切なことを学べますように。
12月4日(木)
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
へブル11章1節
本当に大切なものは、見えないものだそうです。希望と言う将来も見えていません。でも一瞬一瞬に未来も現実になりすぎさっていきます。どうか、この移り行く時の中でも神さまの恵みが備えられていことに気づかされ感謝できますように。この世界があわれみの主の御手の中にあることが、私のただひとつの希望です。
12月5日(金)
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。
ガラテヤ5章13節
自由だからと言って何でもしていいとは思いません。できることを何でもするのが幸せだとも思いません。私たちにをこう引き止めるものは何でしょう。それはきっと、そのラインを乗り越えてしまうより、手前で立ち止まるほうが美しいからです。良い悪い、正しい間違っているかでなく、人を愛するか何ができだろうかと思えたら…。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」このみことばが羅針盤となりますように。
12月6日(土)
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか、信仰の薄い人たち。…だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、こられのものはすべて与えられます。
マタイ6章29節
心配はなかなか無くなりません。ひょっこり顔を出しては私たちを不安にします。そんな私に主はみことばをくださいます。「あなたはあのソロモンよりも美しい」本当でしょうか。でも私はそう信じます。人の見る目と神さまのまなざしは違うから。主よ、私が少しでもあなたの見るように自分を、そして周りの人たちを見ることができますように。平安がありますように。
