top of page

 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

11月10日(月)

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことはできません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもそのひとの中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

                   ヨハネ15章4節 

神さま、あなたなしで何かできる、出来たきたと思っている私をおゆるしください。そしてあなた抜きでこれからのことに悩み不安がっている私の不信仰もゆるしてください。どうか、いつも私があなたにとどまっていられますように、主よ、あなたが私の中にいてください。

11月11日(火)

 イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。それからイエスはトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスはイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

                   ヨハネ20章26節 

私たちの神から、私の神へと変わった瞬間です。もっと自分だけの救い、あわれみ恵みを味わってもいいのではないでしょうか。こんなことしていいのかと思う、そしてこれでもいいとも思う。十字架の救いが私だけのものになるのには、時が必要なのかもしれません。だから焦らないでいましょう。

11月12日(水)

いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなけばならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いまは見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果であり、たましいの救いを得ているからです。

                   1ペテロ1章6節 

労苦することの意味って何だろうと思うことがあります。でも今日のみことばで感じました、ことばではうまく言えませんがきっと私を磨いてくれているのです。それどころか、試練がないと私は神さまのことを忘れてしまうかもしれません。それだけはありませんように。

11月13日(木)

すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」主は仰せられた。「あなたは、自分では骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

                    ヨナ書4章9節 

怒って当然とおもうことがありますが、本当にそうでしょうか。たとえ自分に何の落ち度が見当たらなくても、怒るのは間違っています。ヨナは神さまが備えてくれた植物のつくる日影がお気に入りでした。でもそれが枯れてしまうと怒ったのでした。私たちは本当に自己中心です、でもそんな私を主はあわれんで救うためにこの地にまで来てくださったなんて驚きです。

11月14日(金

祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だからこう祈りなさい。「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。国と力と栄えは、とこしえにあなたがただからです。アーメン。」

                    マタイ6章7節 

どうか、祈るときが平安でいられますように。すべてを受け入れられましょうに。感謝をささげられますように。

11月15日(土)

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

                    ローマ5章3節 

生きることは耐えることかも知れません。そのことに何の意味があるのかと思ってしまいます。けれどもし、耐えることを避けてばかりいたら、私たちは品のない者になってしまいそうです。他に生きようがないのなら、思い切って一切を引き受けませんか。良いことも悪いことも、そうすればきっと希望がうまれます。

© 2023 by Funeral Home. Proudly created with Wix.com

FOLLOW US:

  • Google+ B&W
  • Facebook B&W
  • LinkedIn B&W
bottom of page