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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

10月20日(月)

あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

                   1ペテロ5章6節 

どうしようか、どっちがいいだろうかと迷います。そんな時、神さまがあがめられるようになるにはどうしたらいいかなと思えますように。それが、へりくだるということかも知れません。この世を自分だけで生きていくのは本当に辛いです。でも神さまが、イエス様を私のために十字架につえるほどの方が、私のことを心配してくださっている、この静かな平安があれば何とかなります。

10月21日(火)

 ところがイエスはだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのですか。信仰がないのは、どうしたことです。」

                   マルコ4章38節 

そもそもイエス様から「向こう岸へ渡ろう」と弟子たちに言ったのに、激しい波風にほんろうされてしまいました。彼らはパニックになるほどの恐怖にとりつかれているのに、イエス様だけは静かに眠っています。何もしてくれないと弟子たちが思った時、主は立ち上がって一切を静めてしまいました。私もイエス様の御力を見限っていないだろうか。いいえ、私こそ信仰のない者です、だから信じさせてください。

10月22日(水)

イエスは、死の苦しみのゆえに栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの子どもたちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。

                    へブル2章9節 

イエス様は私の救い主となるために、苦しんでくださいました。苦しみは避けるべきこと辛いこととされます、でも苦しみを通してでしか得られないこともあるのです。愛する者を救うため、いや誰かを愛することは苦しむことなのかも知れません。だから苦しみを避けてばかりいると愛することにも出会えないと思いました。

10月23日(木)

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私は暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。たとい、私が「おお、やみよ。私をおおえ。私も回りの光よ。夜となれ」と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じです。

                    詩篇139篇7節 

納得するほかありません。主よ、あなたの前に私ができるのは、一切を受け取って生きる、それだけです。一日一日をていねいに、できれば感謝しながら。

10月24日(金

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

                   1テモテ1章15節 

決して自分の行いや性格が良かったから救われたのではないと言っています。私が救われたのは、神さまがどれだけ寛容でお優しく罪ある者をゆるしたいと願っておられるかを示すためでした。だから、そのあわれみで生かされている、生きるのをゆるされているということをもっと、私自身がかみしめて生きていきたいです。

10月25日(土)

私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのでなく、自分が憎むことを行っているのです。…私は本当にみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるでしょう。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。

                ローマ7章14節、24節 

救われてクリスチャンになって、長年生きて来て感じるのはただ自分が罪深いなあということです。これではだめだと思い、清くなろうとしても、また罪を犯していることに気づかされます。「ほんとうにみじめな人間」そんな私でも、ただ感謝しますと言わせてくれるイエス様の恵みを覚えます。甘いとか不信仰とか言われるかもしれません、でも私にはそこでしか主のあわれみを感じることができないのです。

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