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 イエスは答えて言われた。

「『人はパンだけで生きるのではなく、

 神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」

                新約聖書マタイの福音書 4章4節

3月31日(月)

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

                   1テモテ1章15節 

誰よりも赦されなければ生きられなかったのは私だと思います。それは今もかわっていません。毎日、生きることが赦されています。どうか高ぶりの心から離れられますように。

4月1日(火)

 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

                   1ペテロ3章8節 

神さまが私にくださった祝福って何だろうと思います。そんなことを言う私は不信仰なんでしょうか。でも自分の気持ちに正直に向きあう姿勢が大切だと思います。そしてどうか悪や侮辱でなく、神の恵みを分かち合えますように。

4月2日(水)

「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう、私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」

                    ルカ15章18節 

放蕩して自分の愚かさに気づかされた息子は、家に帰ることにしました。これはイエス様が話したたとえ話です。父親は息子を遠くから見つけて走ってきて彼を抱きしめ、帰りをみんなで祝おうと言います。この話を読んでいる自分が何を思うかは自由です。今、私は良かったと感じています。この息子は私で、迎え入れてくれる父親は神さまなんだと思えました。それだけでなんだか安らぎます、これで十分です。

4月3日(木)

キリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。

                  ガラテヤ4章14節 

急に喜びがなくなり、それどころかパウロに嫌悪感を抱くようになったガラテヤの教会の人たち。いろんなことが起こるのは、きっと私たちがふるいにかけられて、一つひとつ一枚一枚の覆いが取りのけられていくためです。見えて来た自分に耐えて生きていくとき、そこに真の恵みがあると信じたいです。

3月28日(金

兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いのです。

                    ヤコブ5章7節 

私たちの国籍は天にあります。そこから主イエスが私たちを迎えに来られるのです。このことばに多くの信仰者たちがは励まされてきました。私を耐え忍ばせてくれるものは何だろうと省みます。願わくば、主の来られるのが近いという思いが私たちを支えてくださいますように。

3月29日(土)

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

                   申命記31章6節 

今まで見えてこなかったものが見えてくることがあります。それは大抵の場合、自分の弱さや衰えといった類のものです。頼りない自分がわかればわかるほど、この世のものに頼んで生きてきたんだなあと痛感します。そんな私に、神さまは「わたしがいる」と言ってくれています。世に見捨てられ取り残されたような時に「わたしは見捨てない」と言ってくれます。救いのことばがここにあります。もう一日生きていくために。

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